肉筆画

 浮世絵には基本的に、絵師が自ら筆をとり手書きで仕上げた「肉筆画」と。版元の総括のもと絵師が下絵を描き、専門の絵師、摺師が彫り摺り
を担当する分業制の「木版画」の二つの技法を用いて発展した。
 この中でも、圧倒的対多数を占めるのが木版画による作品である。絵師が描いた下絵をもとに次々と摺り増すことができる木版画は、庶民も気
軽に購入できる商品として大いに歓迎された。浮世絵版画は黒による一色摺りでスタートしたが、木版技術の進歩にともない、明治(1764〜1772)
の初年頃「目当法」(目当という版木の一部にずれを防ぐための印を刻む技法)の導入を境に一挙に色彩豊かになる。江戸をイメージして「吾妻錦
絵」、「東錦絵」、略して「錦絵」とネーミングされた美しい多色摺版画は、江戸土産として喜ばれた。浮世絵版画は本来は決して高価なものではな
く、現代の感覚に置き換えると数百円ほどで購入することが出来た。魅力的な絵画作品というだけでなく、流行の衣装や最新の芸能事情、あるい
は旅情報など、各種の情報を気軽に入手できる楽しい情報誌としても機能した。浮世絵は、まさに江戸の重要なメディアの一つだったのである。
 このように大量生産に適した木版画に対し、絵師が1点1点直接筆をふるった特注品が肉筆画である。その形態は、掛軸、屏風といった室内装
飾に用いる品から、絵巻、画帖(アルバム形式)、あるいは扇面のように実用性の高いものなど様々である。勿論版画に比べてかなり高価なもの
になるが、絵師本来の筆の勢いや、上質の絵具による鮮やかな色彩などが味わえるのは肉筆画ならではの醍醐味である。特に掛軸などの場合
は、趣向を凝らした表具と絵のバランスなども見所である。浮世絵師は幅広い主題に筆をふるっており、各所絵(風景画)の名手として名高い北斎
や広重も、美人画をはじめとする各ジャンルを手がけている。
 北斎が師事した勝川春章や、広重が入門した歌川派の師事の手による肉筆美人画も掲載した。
葛飾北斎
鮑と細魚
 いかにも美味とおぼしき海産の食材が描かれている。笹の枝の上に2個の鮑(あわび)はフジツボがついた貝殻の方と身の方の両面を見せ、さらにはいか
にも鮮度のよい細魚(さより)が一匹、そのスマートな姿を添えている。貝殻の描写など、各種の色と細やかな筆致を取り混ぜていて、洋画的である。
 款記により北斎数え年88歳の作とわかる。老境にもかかわらず、ますます健筆が冴えている。

鰈と蕨
 鰈(かれい)は、海底の砂地に住む魚だが、浜近い浅瀬にもいて、かっては江戸湾(東京湾)での潮干狩りの際などに熊手で捕
まえることもできた。春の便りに到来物が届いたのであろうか、蕨(わらび)とともに鰈が一匹横になっている。「左ヒラメの右カレイ」
といって右側に両目がある上側ではなく、下の面を描いているところが、いかにも北斎らしく変わっている。食通であったという北斎
だが、共にいかにもおいしそうで、煮付けにでも料理する前に写しとったという感がある。
 細い短い泉を慎重につないで描く、晩年期北斎の独特の描法が見てとれる。

雁と歌仙
 火鉢を前に、脇息に腕を休ませて、遠ざかる雁の列を見守る公家が、後方からとらえられている。頬杖を着いているのは、今しも和歌を案じている
ところなのだろう。これだけでは誰とも特定できないが、紀貫之の一首を紹介しておこう。
        秋風に雁が音(ね)鳴きてわたるなり
          わが思ふ人のことづてやなし
 落款により、北斎数え年80歳の作と知られる。 

神功皇后
 神功皇后は仲哀天皇のお后で、熊襲や新羅を政略したことで知
られる。日本古代の武勲高い女性として、かっては浮世絵をはじめ
好んで画題に扱われた。
 数え年86歳の作で、色彩鮮やかな人物像などから、晩年同居し
ていた娘の応為が手伝っている可能性も考えられる。

滝見巡礼
 縦に細長い画面を利用して水量
豊かに落下する瀑布を描き、下方に
それを見上げる巡礼を配する。機知
的な画面構成が楽しい。
 北斎数え年80歳の作である。

歌川広重
雪月花 更科之月
雪月花 東都吉原八朔之雪
雪月花 吉野之桜
 広重の肉筆画の内には、
いわゆる「天童物」、あるいは「天童広重」と呼ばれる一群の作品がある。幕末の天童藩から同藩の経済的な窮状を救うために作品を依頼されたもので、それらは
御用金の返済を延期する代わりとして領民に与えられたものであった。織田候からの拝領品として役立てられたこれらの天童物は、2幅対か3幅対が普通で、特に
後者の場合は高額な御用金を拠出した者に特別に与えられたものであった。
 ここに掲載した3幅対は、上記の画題が著名のかたわらにそれぞれ金泥で記されており、天童物の通例の形式に従っている。3幅を収める箱の蓋表に画題が記
され、蓋裏には「領守織田公ヨリ拝領」の墨書も添えられている。
 吉原の八朔すなわち8月朔日には遊女が白い服を着る習わしで、それを雪の白さに見立てている。また、更科の月は信州名物の田毎の月、吉野は桜の名所と
して名高かった。あわせて、雪月花の趣向としてまとめている。

十二ヶ月風俗図短冊(その一)
【右より】1月(万歳)門付けに家毎を廻る新年の万歳 2月(初午)初午に狐の面をつけた踊り 3月(花見)官女の花見
     4月(田植え)雨中の田植え風景        5月(茶摘み)新茶を摘む女たち     6月(富士詣で)朔日の富士詣で 

十二ヶ月風俗図短冊(その二)
【右より】7月(盆踊り)盆踊りに興ずる人々 8月(仲秋)中秋の名月の下に白無垢に装った遊女 9月(重陽)重陽の節句にちなん
      で菊の花の手入れ         10月(紅楓)紅葉の木々に装われた瀑布       11月(顔見世)歌舞伎の顔見世狂
    言における団十郎の暫      12月(煤払い)煤払い(多くは13日)が終わったあとの胴上げ 

月下の住吉
   澄みわたる世の月影や四所の松
   右 
   住吉といふ事を五七五の頭に冠らせて
                     花月園しるす
 濃淡の墨の階調によって、月夜の住吉の景を爽やかに描
き出している。空や海にほどこされた淡い藍色が、月の光
に洗われた清澄な夜気をしみじみと伝えてくれる。
 画面左上には、花月園という人によって上記のような賛
が記されている。 

勝川春章
遊女立ち姿
 勝川春章(1726〜92)は、版画では役者絵、肉筆画で
は美人画を得意とした浮世絵師で、北斎が始めて絵を
習った先生である。画姓の「勝川」と名の一字「春」とを与
えられて勝川春朗と名のり、浮世絵界にデビューすること
ができたのも、この春章のおかげであった。
 この絵は春章の肉筆画の実力を遺憾なく発揮した傑作
出、吉原の遊女の艶姿を描いたものである。
 図上の賛は次のように読める。

   応比宣城史鳳姿  まさに比すべし宣城史鳳の姿
   迷香洞裏問襟期  迷香洞裏に襟期(心に思うこと)
               を問わん
   何人打破神鶏枕  何人か打破せん神鶏の枕
   題在照春屏上詩  題は在り照春屏上の詩

 史鳳とは古代の中国宣城にいた名妓で、客に差をつけ
最上の客には迷香洞や神鶏枕などもちいてもてなしたと
いう。画中の遊女は、そうした気位高い日本の名妓であ
らろうと讃えた賛者「平安 暾桑」とは、春章と同時代の
京都の漢詩人松岡道啓のことである。この絵は描かれて
すぐに京都に運ばれて行ったということが、この画賛によ
って知られる。

歌川豊春
遊女と禿一人
遊女と禿二人
 広重が属したした歌川派は、幕末の浮世絵界で最も栄えた流派だが、その開祖がこれらの絵の筆者歌川豊春(1735〜18
14)である。豊春は版画方面では西洋画の遠近法を応用した浮絵というジャンルに新機軸を打ち出したが、一方では肉筆美
人画も得意とした。歌川派の絵師は開祖の豊春にならって版画と肉筆画の両刀遣いが多かったが、孫弟子に当たる広重もそ
の例に洩れなかった。
 遊女とお付きの禿とを描くこれら2幅とも、明治期に来日して日本美術品を多数収集した、アメリカ人ウィリアム・ビゲローの
旧蔵品である。

歌川豊国
雪中の花魁
 歌川豊国(1769〜1825)は豊広の兄弟子で、広重にとっ
ては歌川派内の伯父さん格に相当する存在であった。
 図は、雪の降る廓の中を、大きな傘をさしかけられ、禿を
つれて花魁が道中をしいいるところである。高い塗り下駄で
歩きにくそうだが、さすがに豊国の艶筆は高級遊女の媚態
をそれらしく表している。本図も、元ビゲロー・コレクションで
あった。
 図上には、豊国と同世代の儒者樺島石梁(1764〜1827)
によって、おそらくは自作の七言絶句が記されている。
 怯雪美人炉展情 雪に怯える美人は炉(ひばち)に情をの
            ぶ
  畏寒貧士帽纏頭 寒を畏れる貧士は纏頭(祝儀)を帽にす
 不知世有妖嬌物 知らず世に妖嬌(悩まされるほどのなま
            めかしさ)の物あるを
 歩々行々春満天 歩々行々(一歩一歩歩いて行くうちに)
          春天に満たん

歌川豊春
土手の美人
 歌川豊広(?〜1829)は広重の先生で、自分の名の一字「広」と広
重の通称重右衛門の一字「重」とをあわせて、「広重」と画名をつけて
くれた。温厚な人柄であったようで、画風も本図に見るように優しく、お
だやかである。
 後方を振り返る姿のこの女性は、これから岸に着けてある小船に乗
ろうとするところなのであろう。本作もビゲローの旧蔵品としてかねてか
ら知られていた。


発行 株式会社サンオフィス
「北斎と広重展 目録」より抜粋し掲載する



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