葛飾北斎-5

諸国名橋奇覧

 次第に高まる旅への憧れと共に、江戸時代後期には名所を絵入りで紹介するいわゆる「名所図会」の刊行が盛んになる。これは江戸時代前期
に編集された名所記(名所案内記)の流れを受けたもので、諸国の名所や街道、寺社などを絵入りで説明したガイドブックのようなものであった。 
 中でも安永9(1780)年に刊行された「都名所図会」が流行の皮切りとなった。時流に敏感な浮世絵師たちも、各地の景勝地や名物の産地といっ
た人々の興味をかきたてる主題を模索しながら、果敢に名所絵に挑戦している。制作方法も実に様々で、絵師が直接出向いて取材することもあ
れば、各地の名所図会などの出版物を手本に創意を加えた作品も少なくない。これらの多くは名所案内としての役割も果たしたが、中にはこの
「諸国名橋奇覧」のように、敢えてファンタジックな脚色を施した作例もある。
 本シリーズは「冨嶽三十六景」や「諸国瀧廻り」などの連作とほぼ同時期に発表されており、版元も同じ永寿堂(西村屋与八)で、現時点で伝存が
確認される11図が全部揃っている。「奇覧」の名称からも連想されるように、ここでは北斎は実景に取材するにとどまらず、彼自身の豊かな空想
力を生かし、鑑賞者の旅心を刺激する魅力的な情景を描き出している。
 例えば飛騨と越中の堺に架かるとされる橋を描いた「@飛騨の堺つりばし」は、現実には渡ることはできないような不安定な形状で、二人の人物
の重みで吊り橋が大きくたわんでいる。まるで綱渡りを髣髴とさせるような演出に、型にはまらない北斎の遊びが感じられる。
 「名所絵」と一括りにいっても実際の景色に取材したものばかりではなく、あえて場所を特定せずに自由に描いたこのような作品こそ、北斎の豊
かな想像力が発揮されているのである。
 天保4〜5(1833〜4)年頃の作で、ほぼ同時期に広重の記念的な連作となる保永堂版「東海道五十三次内」が発表され、街道ものという新たな
人気ジャンルが確立される。年若い広重の渾身の力作と、齢70を超えてなお精力的に連作を発表し続ける北斎の大胆な発想の対比が面白い。
 まさに浮世絵風景画の黄金期の到来である。

 諸国名橋奇覧 山城あらし山吐月橋  諸国名橋奇覧 摂州天満橋
 諸国名橋奇覧 摂州阿治川口天保山  諸国名橋奇覧 三河の八つ橋の古図
 諸国名橋奇覧 東海道岡崎矢はきのはし
 諸国名橋奇覧 かめゐど天神たいこばし  諸国名橋奇覧 飛騨の堺つりはし@
 諸国名橋奇覧 足利行道山くのかれはし  諸国名橋奇覧 かうつけ佐野ふなはしの古づ
 諸国名橋奇覧 ゑちぜんふくゐの橋  諸国名橋奇覧 すほうの国きんたいはし


発行 株式会社サンオフィス
「北斎と広重展 目録」より抜粋し掲載する




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