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宝暦10(1760)年、江戸本所割下水(現墨田区亀沢)に誕生、幼名は時太郎、のち鉄蔵。わかくして彫師の技術を学び、安永(1778)年頃、勝川
派の祖で役者絵や美人画を得意とした春章(1726〜1792)に入門。翌年より春朗と号し細判役者絵を中心に作画活動に入る。春章没後勝川を離
れ、寛政7(1795)年頃、江戸琳派の俵屋宗理に私淑し二代目宗理を襲名。以後、私的な刊行物の摺物や狂歌絵本の挿絵、肉筆画などを手がけ
る。後に宗理の号を門人に譲り、北斎と号してからも、音羽の護国寺にて120畳敷の巨大な達磨図を制作する(1804)など、華々しいパフォーマン
スも行っている。文化7(1810)年頃にはこの北斎の号も門人に譲り戴斗と名乗る。文化11(1814)年、50歳代半ばで『北斎漫画』初編を刊行、記
念的な連作『冨嶽三十六景』の刊行は実に70歳をこえての出来事であった。嘉永2(1849)年4月18日、浅草聖天遍照院境内の仮宅で没する。
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