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東海道五拾三次之内 日本橋 朝之景
江戸期の日本橋は全国各地へ通じる街道の起点。現在の橋は明治44年に架設。橋の欄干の装飾は
明治期を代表する芸術品。今も国道1号はここから始まる。橋の中央には「日本国道路元標」が埋め
込まれている。 |
1962.107発行 国際文通週間 |
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東海道五拾三次之内 品川日之出
東海道の江戸の玄関口。宿内には七千人もの人々が暮らし、吉原と並ぶ遊興の場所としても有名だ
った。品川には現在も旧跡や名所が至る所に残っており、歴史を活かしたまちづくりが地元の人たち
の手で行われている。 |
2005.10.7発行 国際文通週間 |
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東海道五拾三次之内 川崎 六郷渡船
品川宿と神奈川宿の距離が長すぎ、両宿の経済的な負担が大きかったため、その後幕府に申請、新
たに川崎宿が設置された。かつて「六郷の渡し」があった六郷川(多摩川)は、江戸を出て初めて行き
当たる大きな川。 |
2003.10.6発行 国際文通週間 |
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東海道五拾三次之内 神奈川 台之景
広重の浮世絵では、海に面した街道沿いに茶屋がならんでいる様子が描かれているが、当時の海岸
線は明治以降に埋め立てられた。横浜開港のおり、宿場内の成仏寺や慶安寺などの寺院が、各国の
領事館として利用された。 |
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東海道五拾三次之内 保土ヶ谷 新町橋
江戸を出立した旅人や大名行列が隣の戸塚までたどりつくのが困難な場合、ここを最初の宿泊地とし
ていた。街道には70軒もの旅籠が並び、なかでも大名や公家が泊まる本陣はひときわ大きく豪華だっ
た。 |
2007.9.28発行 国際文通週間 |
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東海道五拾三次之内 戸塚 本町別道
武蔵国・保土ヶ谷宿の先には国境があり、次の戸塚宿は相模国。江戸時代後期の人口2900人、家数
600軒以上という記録があり、周辺の経済、文化の中心だった。早朝、江戸を出立した旅人が最初に
宿泊する宿場。 |
2002.10.7発行 国際文通週間 |
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東海道五拾三次之内 藤沢 遊行寺
遊行寺を中心に発展した門前町。遊行寺は、踊り念仏で有名な一遍を開祖とする時宗の総本山。時
宗4代目の呑海によって鎌倉時代末期に創建された。境内の大銀杏は樹齢700年以上ともいわれて
いる。
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2009.10.9発行 国際文通週間 |
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東海道五拾三次之内 平塚 縄手道
平塚宿から隣接する大磯宿までは約3キロ。「平塚」の地名は、平安時代、桓武天皇の三代孫・高見
王の娘である平政子が東国へ赴く途中にこの地で亡くなり、その棺を埋葬した塚にちなむと言い伝えら
れている。
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2004.10.8発行 国際文通週間 |
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東海道五拾三次之内 大磯 虎ヶ雨
大磯は、南に相模湾、北に大磯丘陵と湘南平に囲まれた風光明媚な地。広重の五拾三次で描かれた
街道沿いの松並木はいまも健在。明治以降は別荘地として知られ、伊藤博文や吉田茂など著名人の
邸宅が多く建てられた。
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2001.10.5発行 国際文通週間 |