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青楼十二時 続 戌ノ刻
吉原の24時間の遊女の生活を描いた12枚
揃の内の1枚。本図の戌の刻は午後八時から
十時頃の時間帯で、恋文を書いている遊女と
客に頼まれたのか、彼女を呼びに来た禿を描
いている。ここでは、歌麿独得の豊満で、ふく
かな女性の表現が次第に変化して、幾分痩せ
た女性の姿で描かれている。
寛政7〜8年(1795〜96)作
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高名美人見たて忠臣蔵
12枚揃の内の1枚。忠臣蔵のそれぞれの段の
内容に即して、当代の美女を見立てている。こ
こでは二人の美女が描かれており、そのうち一
人は帯の文字から「高尾」であることがわかる。
「仮名手本忠臣蔵」では、初段は鶴岡の供応で
、足利直義が執事の高師直から侮辱を受ける
場面として知られている。
寛政7〜8年(1795〜96) 作
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絵兄弟 女三宮
絵兄弟とは、絵合せ遊びの一つで本絵と駒絵
を対比させ、人物や付随する諸品が似ている
ことが基本となる。表題の「女三の宮」から「源
氏物語」に取材していることが分かり、駒絵で
は六条院の蹴鞠の会で柏木が恋慕した女三の
宮を本作品では遊女に、以下、唐猫を 「ちん」
に、簾を屏風に対応させている。
寛政10年(1798)頃 作
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お染 久松
人形浄瑠璃や歌舞伎狂言で、最も人々に親し
まれ、浮世絵としても多く描かれる。宝永7年
(1710)大阪瓦屋橋での事件、油屋の娘お染
と丁稚の久松の情死に取材している。本図で
はお染が心中の決心を促すかの様に思案顔
の久松の手をとっている。お染の髪の簪には
女性の操を象徴する「五大力」の文字が見え
ている。
寛政(1789〜1801) 作 |
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実競色乃美名家見
梶原源太 契情梅か枝
恋人同士、男女二人の半身像で描くシリーズ
の一枚で、浄瑠璃の情話に題材をとり、二人
の命がけの恋を表現している。現在「おそめ
久松」「おさん 茂兵衛」など 21種が知られ
ている。ここでは「ひらかな盛衰記」などに脚
色された梶原源太と恋人梅か枝の二人に取
材している。
寛政(1789〜1801)末期 作 |
料理をする母娘
大根をおろす娘、それを見守る母親、日常の
一端を絵画化した珍しい作品。歌麿は遊女で
はなく高島おひさ、難波屋おきたなど市井の
美人をモチーフにした作品を多く残しているが
、このような名もない女性を題材にしている事
に新鮮味があり、技法としても刺身を盛ったと
みえる部分に没骨無線の色面で処理した新
工夫が見られる。
寛政(1789〜1801)末期 作 |
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宝珠を描きおえた紙をもつ
金太郎と山姥の喜び
歌麿は、鳥居清長ともに40点ほどの金太郎の
浮世絵を制作しているが、その意図は清長とは
、いささか異なる。その作の大半は、金太郎と
山姥の組合せであり、山姥は妖艶な美人に描
かれる。従って美人画の一種ということになり、
当代の美人画の名手といわれた面がよく出て
いる。本図でも同じ構想で描かれている。
寛政(1789〜1801)末期 作 |
忠臣蔵 二段目
駒絵の忠臣蔵二段目の場面を、当世の風俗
に見立てた構図になっている。駒絵では、桃井
館に使いに来た大星力弥と小浪、襖の陰には
加古川本蔵らしき人物がいる。本絵では、商家
の娘のもとに恋文か文箱を差し出す若者、そし
て障子の陰では母親がそっと見ている図様にな
っていて、二つの絵が関連している。
享和2年(1802)作
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教訓親の目鑑 浮気者
現在まで10種が確認されている歌麿後期の傑
作の美人画の一枚。女性の上半身が描かれ、
その女性に関する文が添えられている。本図で
は年増の女房か、豊満ではあるが少し肌のた
るんだ女性が、画中には見えない人物に向かっ
て艶然と微笑んでいる。文の最後にある「つつし
むべきハ比類の婦人也」という感じがよく出てい
る。
享和(1801〜4) 作
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青楼仁和嘉全盛遊
豊年太神楽
吉原で8月の最大の行事、仁和嘉(俄)の一場
面を描く。即興の狂言や踊りながら練り歩く様
は人気を呼び、天明、寛政の頃に最高潮に達し
た。歌麿は同じ表題で寛政中期と享和期に2種
類の揃物を描いている。後者は俄踊りの外題と
演ずる芸者の名前が記される。本図は豊作を祈
願あるいは感謝する神楽に基づく俄を取材して
いる。
享和(1801〜4) 作 |