東洲斎写楽

東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく、生没年不詳)は、江戸時代の浮世絵師。1794年(寛政6年)に出版が開始され、およそ10か月の間に
約140点の錦絵を描いて、その後消息を絶った。
三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛写楽の作品はほとんどが役者絵である。描かれた役者と役柄から、彼らが出演した芝居の上演時期が
判明しており、これを元に役者絵の発表時期は4期に分けられる。なお、すべて蔦屋重三郎の店から出版されている(挿図の右下方に
富士に蔦の「蔦屋」の印が見える)。
第1期が1794年5月(28枚)、第2期が1794年7月・8月、第3期が1794年11月・閏11月、第4期が1795年1月、に当たる。写楽の代表作とさ
れるものは第1期の作品で、後になるほど生彩を欠いてしまう。このほかに相撲絵なども残している。また、同時代の浮世絵師の常として
変名・匿名で春画も描いていたとされる

第1期
1794(寛政6)年の江戸三座の夏狂言に取材した28図が第1期の作品である。
都座「花菖蒲文禄曽我」に取材したもの。


1人大首絵 9図の内 
<三代目沢村宗十郎の大岸蔵人>
大岸蔵人は源之丞・半二郎兄弟を助けて、仇討ちを果たせる
義人。いわゆる捌役で、それにふさわしい芸格を要求される。
図は祇園町の場で、まなこを大きく見開き口をぐっと締めて前
方を睨む。
<初代嵐龍蔵の金貸石部金吉>
強欲な金貸の役で、貧窮した田辺文蔵から情け容赦なく金を
取り立てようとするところ。写楽の、憎々しげな役をつとめなが
底に潜む龍蔵の芸の明るさ、大きな骨格を見通した眼に敬服
させられる。
<二代目坂東三津五郎の石井源蔵>
石井源蔵は、父の敵の藤川水右衛門を狙う三兄弟の長兄。
白鉢巻をし襷をかけて、妻千束とともに水右衛門と戦うが無念に
も返り討ちにあい夫婦共々相果てる。藤川を睨み、刀を抜こうと
する源蔵である。
<三代目坂田半五郎の藤川水右衛門>
石井兵衛を殺害して、石井三兄弟に敵と狙われる極悪人。
長兄の源蔵夫婦は返り討ちにするがついに源之丞・半二郎に
討ち取られる。図は源蔵と対し、袖に手を入れて凄む場面。
左の図と対を成す。
江戸名所と粋の浮世絵
2007.8.1発行
二代目嵐龍蔵の石部金吉
(画像上段右)
江戸名所と粋の浮世絵
2008.8.1発行
三代坂東彦三郎の鴬坂左内
江戸名所と粋の浮世絵
2009.8.3発行
大谷徳次の奴袖助
江戸名所と粋の浮世絵
2010.8.2発行
三代目沢村宗十郎の大岸蔵人
<三代目瀬川菊之丞の田辺文蔵妻おじづ>
足が不自由ながらも仇討ちに尽力する夫の田辺文蔵とともに
辛酸を舐める役。髪の毛がほつれ病鉢巻をしている姿から、床に
伏していて起き上がったところと想像される。骨太の面立ちながら
顔や挙指に愛嬌がにじみ、さらに風格を伴う。

2人大首絵 2図  
<三代目佐野川市松の白人おなよと市川富右衛門の蟹坂藤馬>(部分)





<二代目瀬川富三郎の大岸蔵人 妻やどり木と中村万世
の腰元若草>
2人大首絵では、写楽は2人の対照、2人が構成するリズムと
いったものを意識したようだ。この図も、富三郎の理の勝った
細面の表情と、万世のぷくっとしまらない顔、富三郎の品性を
感じさせるしぐさを、万世の肩をすぼめ、へり下ったしぐさと対照
させる。
桐座「敵討乗合話」とこの時の浄瑠璃「花菖蒲思かんざし」に取材したもの。
江戸名所と粋の浮世絵
2009.8.3発行
中島和田左衛門のぼうだら
長左衛門と中村此蔵の船宿
  かな川やの権



1人大首絵 6図の内 
<四代目松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛>
宮城野・信夫姉妹を助けて見事に仇討ちを成就させる侠気の
男である。幸四郎の年齢、貫禄、彼の芸質のひとつである柔
和な物腰、思慮深さと侠気を如実に示している。
江戸名所と粋の浮世絵
2008.8.1発行
四代目松本幸四郎の山谷の肴屋五郎兵衛
<初代尾上松助の松下酒造之進>
宮城野・信夫姉妹の父で、志賀大七に殺害される役。パラパラ
伸びた月代、目の隈、うっすらとした髭などが落魄した境遇を物
語っている。右の高麗蔵に対峙して一歩も引かない深みのある
気迫は素晴しい。
<三代目市川高麗蔵の志賀大七>
松下酒造之進と相対し、これを殺害、宮城野・信夫姉妹に敵と
狙われる役。左の図と対になり、酒造之進を殺さんとする場面
があるが、悪の華とでも形容すべき高麗蔵に魅入られた写楽は
鬼気迫る凄味を発散させる画面を創り出した。

河原崎座「恋女房染分手綱」と切狂言「義経千本桜」に取材したもの。
 
1人大首絵 8図の内
<二代目市川門之助の伊達与作>
腰元重の井と不義を犯したうえ、謀られて追放される場面と
考証されている。心痛極まり悄然と去りゆく和事氏師の深み
のある演技を写楽は見事に捉えている。人差し指を鍵状に
曲げるのは写楽画特有のもので、能の演技から来ていると
する説もある。

<四代目岩井半四郎の乳人重の井>
今日この狂言は十段目の「重の井子別れ」のみ上演されて
いるが、この図はその段を描いたものであろう。与作と重の井
の間に生まれた子は馬子になっていたが、偶然重の井と対
面することになる。立場上母と名乗れず涙をこらえて別れる苦
衷。守り袋を手にし、わが子を見つめる表情に注目されたい。
場面は異なるが、門之助の与作と対にすることも出来るであ
ろう。
<三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛>
鷲塚八平次に加担して、伊達与作の奴一平から用金を奪う
役。突き出してねめつける魁偉な容貌と、懐から出し胸前に
広げた両手の印象が強烈。書き損ねたとしか思えぬ手が
脅威的なエネルギーを放つ。
<初代市川男女蔵の奴一平>
江戸兵衛らを相手に切りあう場面で、左図の鬼次と対を成す
と思われる作品。第1期の写楽は、取材した江戸三座から1
組ずつ選んで対を意識した作品を制作したりではないかと思
えるふしがある。
<市川蝦蔵の竹村定之進>
定之進は由留木家の能役者。娘重の井の不義の謝罪のた
め、主君に秘曲道成寺を伝授し、鐘の中で切腹して果てる。
写楽は当時の劇界随一の名優の風格を十分に描ききって
いる。鍵状に曲げられた右人差し指は能特有のものという説
もある。
江戸名所と粋の浮世絵
2007.8.1発行
三代目市川八百蔵の田辺文蔵




2人大首絵 2図の内  
<初代岩井喜代太郎の鷺坂佐内妻藤波と坂東善治の
鷲塚官太夫妻小笹>
左の喜代太郎が善人の捌き役の妻で右の善治が悪人の妻、
若女形の喜代太郎と敵役の善治という役柄と芸質の対比。
そしてまた、2人をどう方向とし、二人の顔や肩や手の流れが
作り出すリズムの効果を写楽は狙っている。

第2期
1794(寛政6)年7月、8月の江戸三座の秋狂言に取材した37図と口上図が第2期の作品である。

口上図 大判全身図 1図
<篠塚浦右衛門の都座口上図>
都座の紋をつけ、菱寿つなぎ模様の裃を着た老人の口上図
である。巻紙には「口上 自是二番目新板似顔 奉入御覧 
候』と裏向きに書かれている。舞台の口上に似せて、蔦重と
写楽が第2弾、すなわち第2期の作品を披露している図と解
される。読み上げるのは都座の楽屋頭取、篠塚浦右衛門で
ある。

河原崎座(7月)「二本松陸奥生長」に取材したもの。

1人細判全身図 8図の内 
<三代目大谷鬼次の川島治部五郎>(右)
<初代市川男女蔵の富田兵太郎>(左)
狂言の四立目、二本松の仇討ちの発端とも言うべき場面で、川島治部五郎が富田介太夫を殺して立ち
去ろうというところへ、介太夫の子兵太郎が来合わせ、怪しんで提灯を差し出す。治部五郎は袖を上げ
て顔を隠す。反り身の鬼次、身を引くように受ける男女蔵。姿態に緩みがなく、2枚の呼吸が絶妙。
第2期の代表作であり、写楽作品のなかでこれほど舞台の臨場感を伝えてくれるのも珍しい。

都座(7月)「けいせい三本傘」に取材したもの。

2人大判全身図  3図の内 
1人細判全身図 13図の内
<二代目瀬川富三郎の傾城遠山と市川栗蔵の
遠山義若丸>
<三代目坂田半五郎の子育て観音坊>
不破一味から一子義若丸を守るため城を出た遠山を、悪僧の観音坊が襲う場面と想定される。半五郎の
張りつめた勢いと、富三郎の柔らかな物腰が対照的。

<三代目沢村宗十郎の名護屋山三と三代目瀬川菊之丞の
傾城かつらぎ>
山三と伴左衛門の鞘当の前後に演じられた、郭での2人の濡れ場と推定
される。2人の表情、しぐさに縁きりでもするようなきびしさが漂う。

桐座(8月)の二番目「四方錦故郷旅路」に取材したもの。

2人大判全身図  2図の内
<三代目市川高麗蔵の亀屋忠兵衛と初代中山富三郎の
けいせい梅川>
俗に“梅川忠兵衛”と呼ばれる悲恋物語で、図は2人が故郷の大和新口村
へ落ちて行く道行き。高麗蔵が悲壮感、富三郎か甘美さを象徴し、2人の息
づかいまで聴こえてくるようだ。

第3期
1794(寛政6)年閏11月の江戸三座の顔見世狂言に取材した役者絵58図、同年10月19日に没した二代目市川門之助関連の追善絵2図、
同年11月に両国回向院で興行された勧進相撲に取材した4図、計64図が第3期の作品である。

都座(11月)「閏子名和歌誉」に取材したもの。

1人細判全身図 16図の内
浄瑠璃「鶯宿梅恋初音」
 
<二代目中村仲蔵の才蔵実は荒巻耳四郎>
菊之丞と仲蔵がせり出して踊りとなる場面。写楽
第3期中の佳品。

都座(11月)「花都廓縄張」に取材したもの。
1人間判大首絵  3図の内
<初代嵐龍蔵の奴なみ平>
第1期作品よりやや小型で、余白に替紋・屋号・俳名を記し、プ
ロマイド色を強める。この図は第1期の作品《初代嵐龍蔵の金貸
石部金吉》を自己模写している筋があるが、この図のほうが明快
。そのぶん写楽の本質・魅力は薄れている。

大童山土俵入り (11月)
1人間判全身図 1図
  
<大童山土俵入り>
寛政6年11月16日から晴天10日間、両国回向院前で興行さ
れた勧進相撲の折に披露された、怪童大童やまの土俵入りに
取材した間判。土俵入りのみで相撲はとらなかった。

第4期
1795(寛政7)年正月の桐座・都座の新春狂言に取材した役者絵10図、大童山8歳の図2図、武者絵2図計14図が第4期の作品である。

都座「江戸砂子慶曽我」と2番目「五大力恋緘」に取材したもの。
1人細判全身図 2図の内
 <二代目坂東三津五郎の曽我の 
五郎時致>
<三代目沢村宗十郎の曽我の
十郎祐成>
<三代目坂東彦三郎の工藤左衛門
祐径>
3枚続き。初春狂言吉例の「曽我の対面」を描いたもので、敵を前にしてはやり、三方をかざして挑みかかる五郎を、兄の十郎が
おしとどめる場面。造形の崩れは覆うべくもない。

株式会社デアゴスティーニ・ジャパン発行
週間アーティスト ジャパン
「東洲斎写楽より一部抜粋掲載する

葛飾北斎へ   歌川広重へ
喜多川歌麿へ   肉筆画へ
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